生理がないのがバレた話

生理がないのがバレた。

 

 

小学生の頃、授業で赤ちゃんが産まれる仕組みについて習った。女の子の生理のことも。試供品として配られ、私の手に渡ったナプキンは、その後一度も使われることはなかった。

 

中学に上がった頃、ナプキンを隠せるポケットがついたタオルハンカチが流行った。色んな友達に「ナプキン持ってる?」と聞かれるようになった。ごめんね、「今日は」持ってない、そう言ってその場を凌いだ。

 

高校に入ってからも生理は来なくて、やっぱり私の体はみんなの体とは違うのかもしれない、そう考え始めるようになった。その時はまだ、そのことを深刻には捉えていなかった。生理にはならないから、いつでも温泉に入ったり、旅行に行ったり、プールに行けたりする。むしろ便利だと思っていた。それは今は少しだけ変わって、お金がなくて買い物ができない人は支払いを心配する必要がない、そういう感じだと思っている。

 

でもまさかその時は、自分に子宮が、膣が無いなんて思いもしなかった。

 

大学1年生の時に風邪になって近所の病院に行った。他に気になることはある?先生にそう聞かれた時にぽろっと、生理がないんです、そう言ってしまった。

 

―――生理不順?いつもは何日頃来る?

―――そういう訳じゃなく、元々生理がなくて。

 

先生の顔色がさっと変わった。それまでは近所話する気楽さでいたのが、酷く真面目な空気になったのが分かった。井戸端会議が面接会場になったみたいだと感じた。それから待合室で待たされて、おすすめの産婦人科がある病院のリストを先生が持ってきてくれた。18歳になって生理がないというのは・・・万が一ということがあるから、このどれかに行った方が良い、そう言って。別の用事があるからと着いてきてくれていた私の叔母に、そのリストが手渡された。なんだか、隠していた3だらけの成績表を先生から保護者に渡された時の気分だった。その後、どうして言わなかったの、そう聞かれた。別に言えなかった訳じゃない。言いたくなかっただけだ。言ったら、現実に向き合わなきゃいけないような気がした。ヤマが大外れしたと自覚のあるテストは、できればそのまま返却されず、葬り去られてしまえばいい。

 

それから3つの産婦人科に行った。1つ目のところは、高級住宅街にあるシックなところだった。待合室がサロンみたいだった。先生が女の人だから安心するだろうとの勧めでそこにした。でもとっても綺麗な先生で、症状を話す時ですら緊張してしまった。それから検査した。

 

―――うちでは診断を確定できないので、紹介状を出します。MRIを撮ってから次の病院へ。

 

それまでは風邪にかかった時くらいしか病院に行ったことはなかったから、確定できない、というケースがあることに驚いた。不確かな判断を下さず、きちんと上の人に回してくれる姿勢は素晴らしいと思った。母はめちゃくちゃシリアスな表情になっていたが、私はそういう経験がなかったので若干ワクワクしていた。ごめん。

 

2つ目の病院は、病院らしい病院だった。白い床、白い壁、座る時にブブッと音がする待合室のつるつるした長ソファ。そして診察を受けて、なんだか衝撃的なことを言われた。

 

―――ロキタンスキー症候群かもしれません。しかしもしかしたら、可能性は低いですが、本当は○○さんが男の子だった、ということも考えられます。

 

それまでは60%くらいの真剣さで聞いていたけど、後半のインパクトが強すぎて一気に眠気が覚めた。男の子だったかもしれない。なんだそれは。じゃあ私は、赤のTシャツを着て、髪を短く切って、レンジャーものを見て育っていたかもしれないというのか。ワンピースを着せられて、髪はおかっぱにされて育ってきたというのに。アニメに関しては犬夜叉を見ていたからそれ程変わりはないかも、そう思った。スカートを履いている私は、じゃあ今「女装」をしているということなのか。

 

家に帰ってから、衝撃で真っ白になっていた頭が徐々にクリアになってきた。自分のアイデンティティが崩壊していく音が聞こえた。私はその時まで全然自覚していなかったけれど、思っていたよりも性別というのは大きなアイデンティティらしかった。小学校の頃のプロフィール帳では、性別を書く欄は血液型の隣にあった。でも違う。アイデンティティというカテゴリにおいては、性別は血液型なんかとは訳が違ったんだ。私は両親の娘じゃなくて息子なのかもしれない。手が震えた。

 

でも、父と母が昔から私のことを大事にしてくれていることは自覚していた。私が私ではなくて、僕だったとしても、きっとこの親は戸惑いこそすれ、私を同じ名前で呼ぶだろう。同じ手で触れるだろう。そう思うと安心した。姉は、もしかしたら同じ手では触れないかもしれない。けれど、私をショッピングセンターかどこかに連れ回しに行って、悩みを忘れさせてくれるタイプの人だ。決して、私にあげたスカートやワンピースを取り返すタイプの人ではない。私たち姉妹は、昔からお互いの悩みの核心には触れないまま、その周りをくるくる回っていた。

 

結局2つ目の病院でも紹介状を出されたので、3つ目の病院に行った。検査をした後、「99%女の子ですね。背も高くないですし。○○さんの場合は別の、ロキタンスキー症候群というものだと思われます」と言われた。どうやら私は99%の確率で私で、1%の確率で僕らしい。その後更に染色体検査もしてもらって、完全に女だということが立証された。私は僕から遠ざかった。

 

ロキタンスキー症候群についての説明が始まった。私は医学に明るくないので7割方忘れた。母の胎で何かが何かなって、結局、私には数cmの膣しかなく、子宮は完全に欠損しているということだった。子供も産める見込みがないと。先生はなんだか、こちらを気遣わしげに見ていた。全然実感が湧かなくて、じゃあ子宮がない部分には何の内臓が詰まっているんだろうと思った。

 

先生は続けて、造膣術や、子宮移植について話をした。母は私よりも真剣に先生の話を聞いていた。私がテスト結果について母に話した時の800倍は真剣だったと思う。そしてその真剣さゆえ、話の内容に狼狽えてもいた。先生は話を締めくくると、なんだか娘さんの方がお母様より落ち着いていらっしゃいましたね、と優しく言った。嫌味ではなかった。私は造膣術なんて必要ないと思ったし、他人の子宮を移植するということにも抵抗を覚えたから、これが私のベストな道ではないと思いながら聞いていた。先生の指摘はある意味で正しかった。

 

母にはごめんね、と謝られた。私は母が謝るのはお門違いだと思った。生き物がその胎内で子供を育む時、子供の臓器の組み立てをコントロールできる訳ではない。私は自分がデザイナーベイビーではないことも知っている。何故母が謝ったのか、理解できなかった。その後グリーフケアの授業で、人は近親の死だとか悲しいことが起こると、それを自分のせいだと考え、自己を責めてしまうということを知った。あの時の母の状態はそれだったのだ。人間というのは不思議で、奥深いものだと思う。自分を傷つけて、自分の傷を癒す。

 

後日、叔母とも色々話した。私は、将来私が結婚して、パートナーと子供を持ちたいと思ったら養子を取ればいいし、私はその子を幸せにする自信がある、そう話した。叔母は何か迷っているようだった。私のことを心から心配してくれているようだったけれど、私はなぜそれ程心配されるのか分からなかった。体の関係がないからって切れるような関係ならなくていいし、実子じゃないからって愛せない人とは絶対に気も合わないと思った。世の中には子供を持たない夫婦も星の数ほどいる。そうして幸せな生活を送っている人たちがいることも知っている。けれど多分、叔母が心配していたのは、私の結婚ではなく、私自身のことだった。

 

大学生として過ごしていく内に、その理由が分かった。彼氏と寝る時の話。やっぱり愛されてるって感じる、友人がそう幸せそうに言った。小説でも婉曲的に、愛を確かめる行為、そう表記されていることもあった。愛を、確かめる。父が将来の夢を語った私に、何があっても元気で生きていてくれさえすればいいと言ったとき。母が東日本大震災の夜、家から中学校までの長い距離を必死に自転車に乗って来てくれたとき。もちろん私と親との関係性は、私がパートナーと結ぶ関係性とは別の性質のものだろうし、愛の種類も違うだろう。けれど、ああいった実感を、人はパートナーとのその行為を通して感じるという。多分セロトニンとかオキシトシンとか、そういうホルモンも関係しているのだろう。きょとんとする私に友人は、やっぱり大人になるとその行為の重要性が分かる、と言った。別の男の人は、まぁやっぱり恋人とはしたいよね、と言っていた。

 

その行為が全てではない、という友達もいた。性愛と愛は違うと。私にはよく分からないけれど、体を重ねることの重要度は人の性格や、性別や、年齢によって変わるのだろう、と結論付けた。ある人にとってはこれが大事で、ある人にとってはあれが大事。きっとそこに普遍性はない。

 

ある授業で、ある地域社会での、子を産めない女性の社会的立場について書かれた論文を読んだ。日本ではない遠い国。そこでは、子供を産み育てて初めて、女性に財産相続権などの社会的権利が与えられるという。愕然とした。それは努力でどうこうできるものではない。理不尽だと感じた。

 

インターネットで検索すると、子を産めない女性を石女と罵倒する投稿がこれでもかと存在する。石女。昔からある表現だ。もはや柔らかい肉体すら持たない、無機質で冷たい存在、そんな語感。私はここで確かに生きているのに、心臓を動かし、血を体全体に湛えているのに、そんな存在なのか。昔は、前世で罪を犯したから子供を産めなくなった、と考えられていたようだ。私はクリスチャンだし、キリスト教の世界に生まれ変わりというものは(私の知っている限りでは)ないので、別に気にしていないけれど。仏教には詳しくないけれど、前世で罪を犯していたらそもそも人間ではなく畜生として生まれ変わるはずではないかとも思うけれど。結論としては、その侮蔑的な表現に傷ついていた。

 

離婚の原因にもなるらしい。そもそもパートナーに隠し事はしたくないし、お互いにお互いを受け容れられる関係性でなければ嫌だけれど、そうか、子供が産めないということは欠点であるのか。子宮の欠陥はただの欠陥ではなく、欠点でもあるのか。そう思った。

 

子を産めない女は生きてる価値がない。女は子を産んで育てて初めて一人前。夫婦の間に3年子供が生まれなかったら離婚すべき。前世の業。子供を本気で欲しがっていないせい。心が赤ちゃんを迎える準備ができていない。孫の顔を見せることこそが親孝行。子供を産めない人間は生物学的に生きている価値がない。あらゆる言葉の洪水が、私の胸の池に流れ込み、汚濁となって渦を巻き始めた。

 

この頃から、自分の体がコンプレックスになり始めた。友人が生理の辛さや、子供を何人ほしいか、という話を振ってきたときは作り笑いをするようになった。それまでは適当に流していた話題に、立ち止まり、深く沈むようになってしまった。汚濁に吸い込まれ息ができないような気がした。少しでも本来の池の透明度に戻そうとするかのように、一人の時は自然と涙が流れていった。

 

他の女の子と違うことが淋しかった。子供の話をしている友人が浅瀬に集まっているのに、私だけ沖合に流されているような気がした。同時に、彼女たちの体が高嶺の花のように思えた。赤ちゃんを産める、恵まれた体。嫉妬はしなかったし、これからもすることはないと思う。ただただ、憧れるのみだ。

 

就活では、将来のライフプランを立てましょう、そんなことまで勧められる。私の場合、性格と容姿が下の下なので、まず私のことを好きと言ってくれる人が少ないし、その中でもこの体で良いと言ってくれる人なんてごく少数だろう。そんな希少な人に出会えるかどうかも分からない。そんな中で「if」にすがってプランを立てるより、一生独り身でいた方が現実的だと思った。

 

子供は好きだ。愛しいと思うし、近所の保育園にいる全員が幸せになってほしいと思う。

 

確かに世の中には、選んで子供を持たない夫婦もいる。けれどそこには選択肢があった。私には選択肢も与えられなかった。それがひどく、ひどく悲しかった。神さまは理不尽だと思った。旧約聖書を読めば、そんなことは分かりきっているけれど。

 

子供も産めないし、そのことでパートナーを持つという選択肢も消えかかっている。将来のことを考えても、なんだか霧がかっていて、生きている価値があるのか、というより、生きていていいのか、そう考えてしまうようになった。

 

冷静に考えればおかしな話だ。生きるのに誰の許可もいらない。生きるというのは行為ではなく状態で、コントロールできるものでもないから。生きる上で社会に何の価値も生み出さなかったとしても、犯罪でも何でもないし、それを犯罪とする社会ならこちらから捨てるのみだ。

 

けれど私は渦に巻き込まれて上がってこれなくなっていた。誰に話しても、淋しさが消えることがない。悩みを打ち明けても、彼女たちのいるところへ行ける訳でもないと、そう気付いていた。

 

ある日思い切って、こうツイートした。何か変わればいいと思って、もういっそフォロワーの友達に、自分の状況を知っておいてほしいと半ばやけくそで投稿した。

 

―――私は子宮ないから赤ちゃん産めないし、恋人同士がするようなこともできないし、いただいた好意に応える資格はないんじゃないかと思ってしまう。ていうかそれを理由に、あ、じゃあやっぱり今のは無しで、ってされたら心が死んじゃう

―――幸せを作り出すものは色々あるけれど、総合的に見て相手は私じゃない方が幸せになれると思うし、幸せになってもらいたいと思うのに、それでもその人と一緒にいられればな、と思ってしまうのは本当に矛盾してる

 

これが私の本心だった。これ以上悲しい思いをするのが怖くて、でも幸せにはなりたくて、そんな気持ちだった。他の人を自分の池に引きずり込むのは嫌なのに、一緒にいてほしいとも思ってしまう。友人に、自己評価低すぎ、そう言われて、でも私は確かに世間からすれば低評価なんだよ、そう心の中で呟いていた頃。

 

まあこんな重い話題、みんなスルーだろうな。そう思ってiPhoneを見ていたら、高校時代の親友からLINEが来た。普段は変なスタンプを投げつけ合ったり、変な写真を投げつけ合ったり、とりあえずそんな事ばかりしていたので、今回も新しくキモいスタンプをダウンロードして対抗すべきかと考えながらLINEを開いた。

 

彼女特有の、自然な信頼を感じるいくつかの文章の後に、こう続いていた。

 

―――あなたが好きな男性と素敵な恋愛をすることを祈るし、それは不可能ではないと私は勝手に信じている

 

その文章を読んだ瞬間、濁っていた池が晴れていったような気がした。

 

彼女がどんな風にこれを書いたのかは分からない。自然に文章を紡ぐ人だから、さらっと書いた文章かもしれない。けれど私にとってその内容は、ひどく力強いものだった。勝手に信じているですって。何その、根拠のない、一番確かな行為。

 

私が読んできた論文も意見も、全て会った事のない第三者のものだった。会った事のない人がどこへとも分からず投げた石を、自分の身に受けて傷ついていた。でもこの親友は私をよく知っている。6年間一緒に過ごしてきたし、大事なことから些細なことまで、色々な話をしてきた。私の全てを知っている訳ではないし、私も彼女の全てを知っている訳ではないけれど、それでもお互いの一部を確かに知っている。

 

私が親友より第三者の言葉を優先する訳ないじゃないか、と思った。そんなの不戦勝だ。彼女の強い言葉は確かに、無数の弱い濁流を堰き止め、私の池を守ってくれた。沖合に流されていて淋しかった私に、命綱を投げてくれた。私は浅瀬に行くことは多分できないけれど、この命綱があれば十分だ。

 

私はこれからも、淋しさを感じて生きていくのかもしれない。他の女の子とは違うという淋しさ、大多数とは同じ人生を歩めないという淋しさ、パートナーがいないまま生きていくかもしれないという淋しさ。社会に私の存在はいらない、という人も時折いるかもしれない、そして私はますます孤独感を深めていくのかもしれない。けれど、彼女、というか、彼女がこれをあの時言ってくれたという事実は、ピアノ線よりも固い命綱として、私と浅瀬をずっと繋ぎ続けるのだ。

 

 

パートナーとの愛が雪見だいふくを半分こすること、親との絆が親が食べてる爽をもらうことだとしたら、君との親友っていう関係は、それぞれ別のアイスを食べつつも隣で駄弁ってる感じだと思う。これからもよろしく。